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2009年 10月 19日
久しぶりの竹田詣で。道中の久住連山周辺は、早くも紅葉の走りが見られた。冬が降りてくる。
その日はいつもの朝。変わらぬ陽が上がり、変わらぬ日常が時を刻んでいた。Y子氏からの着信があったとき電話は取れなかったが、「ああ、きっと」と胸騒ぎがした。案の定、確認の電話で、受話器の向こうから、「今朝、田村さんが亡くなりました」と告げられる。 田村悟史(本名:中村考一)。記録制作 手仕事舎代表。田村は、脚本を書くときのペンネーム。手仕事舎は村の中学校跡を借り、仕事場としていたが、時折宝珠山小劇場と称して、小さなイベントを企画開催されていた。田村さんに初めて会ったのは、村に越してすぐ。「ヘンな人を紹介してやろう」と連れて行かれた。掴み所のない大きさと個性の人。インテリゲンチャ。 陶芸の里、小鹿田皿山を映像で記録するために東京からやって来て、母方のルーツでもあった当時の宝珠山村(現:東峰村)にクルーとともに移り住んだ。僕は何も知らずに村に居を定め、手仕事舎で数え切れない出会いをいただいた。僕にとって手仕事舎はメディアだった。その総帥が癌に倒れた。最後に言葉を交わしたのは盛夏。享年68歳。彼の闘争は終わったのだろうか。 09東京柿豚料理会、準備開始。筑後のもうひとつのプロジェクト、ちくごSOHOもにわかに進展。
by ezoenaoki
| 2009-10-19 23:27
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