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2008年 05月 14日
学校の授業中、エアコンを入れた。分母庵は朝、ファンヒーターを点けているのに。街中は暑い。
デザインは有る無し、するしないではない。すべてのものはデザインされている。どんなモノも、色、形、素材が、コストとか、時間とか、誰かの意志によって決められている。そこにあるのは、デザインの良否だけだ。そんなことを考えていると、しばらく前からアタマから離れないあのコトを思い出す。 滅多に訪れる機会はないが、神社仏閣の建物、構築物、装束など、見れば見るほど特殊な色、形、素材だと思う。美しいと感じることのほうが多いのだが、ある時期から、はて?このデザインはいったいどうやって決まったのかと気になり始めた。この中で、唯一素材だけは、近隣にあるモノが使われたと推察できるが、それとて複数の選択肢から選ばれている。では、肝心の色と形はどうなのか? 例えばなぜ、僧侶の装束は紫や金糸が多用されるのか?高貴な色だからというのは答になっていない。染料や材質が貴重だったからか?それ故の非日常感の強調なのだろうか?そしてなにより、その決断は誰が行ったのか?なんとなく決まったってことはないだろう。僕はそこに、誰かの意志を、もっと言えば企画と表現を感じるのである。仏教や神道の普及を願って、そんなプロセスがあったのかも知れない。 エフコープの08広告のアイデアフラッシュ。たけた食育ツーリズムの全体企画をぼんやり考える。
by ezoenaoki
| 2008-05-14 22:59
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